『生命の實相』 のなかに、聖経のなかに、いたるところに 「病気は無い」 と書いてあるのを拝読していながら、潜在意識のなかには 「病気はある」 と思っているような中途ハンパな信仰だから、すべてのことがスッキリしないのだと反省しました。
生長の家が発祥した当時の大先輩である服部仁郎先生、吉田國太郎先生のお話はハッキリと 「病気は無い」 と宣言しておられたことを今でも思い出します。 先生たちのお話を聞いていますと、理論的にはドウシテモ理解できないような、飛躍したお話が多かったのですが、それでいてとても魅力があり、先生たちのお話を追いかけまわして聞いた私でした。
「病気は無い」 ということは、谷口雅春先生がお悟りになられた真理で、理屈がこうだから 「病気は無い」 のではなく、病気は無いから無いのだ、ということをわからせていただいて、私は本当にスッキリしました。
「なぜ無いのだ?」
という疑問が出るということは、「現象あり」 とみる 「迷い」 がある証拠で、「病気がある」 と思っているからです。 結局 「病気は無い」 と知るためには、谷口先生が神から最初に受けられた啓示である 「物質はない」 という、生長の家の御教がはじまった最初の原点を、よくみきわめることが大切であるとわかりました。
「“無い”ものを“無い”としたところに、本当にアルモノが出て来るのだ」
(『生命の實相』 第20巻 135頁)
この「“無い”ものを“無い”とする」 これが最も大切なことで、それによって本当にアルモノが出て来るのです。 「病気は無い」 と知った時、本当にアルモノ、即ち 「永遠の生命 〈健康そのもの〉」 が出て来るのです。
先生が 「人間は病気をしないのがアタリマエで、病気をするのは奇蹟だ」 とお説きになられるのは、 「無いものを無い」 とハッキリ自覚された時に出てくる真理であります。 どうしても私たちは五感にたよって毎日の現象の生活をしていますので、五感によって知る現象をあるかのように錯覚してしまうのです。
谷口先生は 「病気は無い」 と教えておられるのですから、無い肉体の病気などあるはずがないのですが、五官で感知するものを 「ある」 と思うと、そこからイロイロの 「迷い」 があらわれてきます。
「無明(まよい)はあらざるものをありと想像するが故に無明なり。 真相を知らざるを迷いと云う」 と聖経 『甘露の法雨』 に説かれています。 「無いものをあると想像する」 のが迷いでありますから、 「病いの原因は “心” にあり。 しかも “迷いの心” にあり」 と聖経 『続々甘露の法雨』 に説かれています。 このように教えられますと、私たちは 「病気は無いんですよ」 とハッキリどんな時でも言えるようになります。
生長の家が発祥した当時、私たちの先輩が 「病気は無いのですよ」 と宣言して、いたるところで奇蹟が起ったということは、それが真理であるからです。
私たちは先輩のあとをついで、生長の家の根本真理をハッキリと宣言して、多くの人びとを悪夢からさましてあげる必要があります。
徳 久 克 己 医学博士
光明法話の過去記事は左欄『今日の言葉』