最近、時代の流れとでもいうものを感じることが多い。とりわけ、自衛隊を巡る時代環境は大きく変わったと言えよう。
この十一月、フィリピンを襲った猛烈な台風三十号と高潮によってレイテ島などが甚大な被害を受けた。 レイテの中心地タクロバンなどの被害状況はなんとも痛ましい限りであるが、レイテというと、大東亜戦争の終盤、昭和十九年秋の「レイテ沖海戦」を思い出す。 フィリピン奪回をめざした米軍が多数の艦艇と輸送船団をレイテ島に向け、それを阻止せんとした日本海軍との間で熾烈な戦いとなった。 わが海軍はこの海戦で戦艦武蔵と空母四隻を失い、以後、艦隊作戦が不可能となるほどの敗北を喫したのがレイテ沖海戦であった。 最初の特攻とされる敷島隊が出撃したのもこの海戦である。
この日本にとって因縁浅からぬ地に、一千名を超える陸海空自衛隊が「フィリピン国際緊急援助統合任務部隊」として派遣された。 ニュース映像で日の丸をつけた多くの隊員が医療活動や避難民の輸送にあたっている姿を見ると何とも頼もしい。
派遣された護衛艦はヘリ空母ともいわれる主力艦「いせ」。 輸送艦の「おおすみ」も世界の常識では揚陸艦である。 十年以上前であれば、こんな艦隊を派遣すれば「海外派兵だ」と批判する国会質問や報道がなされたであろう。 また、激戦地であったレイテ沖に、日本海軍の軍艦旗とまったく同じ自衛艦旗(あの韓国が嫌いな旭日旗である)を翻すのか、などと言う向きもあったに違いない。 しかし、今、そんな話は聞こえてこない。
今開会中の臨時国会で、まもなく成立すると言われる国家安全保障会議設置法案についても同様のことが言える。 十数年前のことだが、制服を着た自衛官は官邸には近づくなと言われていると自衛隊関係者から聞いて驚いたことがあったが、この日本版NSCでは現役自衛官が官邸に事務局をおく政策立案組織に正式に加わることになる。まさに「隔世の感」である。
とはいえ、自衛隊が「普通の軍隊」になったわけではない。 自衛隊違憲論こそ表立って唱えられなくなったが、憲法を改正して「国防軍」とするという自民党改憲案に対しては「平和憲法を守れ」式の反対論がマスコミに溢れている。
と同時に、憲法論議だけでなく、自衛隊に対する違憲論時代の「冷遇」はまだ残っている。 例えば、未だに中学校の公民教科書では、自衛隊は「憲法九条、そして平和主義に反するのではないかという議論は、冷戦終結後の今日も続いています」などといった記述がなされている。 こんな記述は、どう考えても、自衛隊の現状からかけ離れており、検定・採択の両面からの是正が必要だ。
栄誉の問題もある。 今ではPKOに参加した自衛隊員が皇居に招かれることもあるが、天皇陛下が自衛隊の基地、駐屯地をご視察になられた例はない(国体会場の場合は除く)。 また、警察や消防、海上保安庁関係の式典にご臨席になられたことはあるが、防衛省・自衛隊の公式行事へのご臨席の例はない。
確かに、時代の流れは変わりつつあり、「隔世の感」を感じることは多い。憲法改正にはまだ多少の時間はかかると思うが、安倍内閣のもとで集団的自衛権の憲法解釈見直しが進み、それに伴う自衛隊法改正も構想されている。 法的な基盤整備は進みつつあると言える。
ここにも時代の流れを感じるが、しかし、それはまだ確固としたものになったわけではなく、どうしても憲法改正が必要だと言える。 しかし、その前段階として、まず、「戦後の残滓」とも言える自衛隊違憲論時代の「冷遇」を止め、自衛隊を「普通の軍隊」として遇することは今からでも出来るのではあるまいか。 そうなれば、一般国民にとっての「普通の軍隊」の姿がイメージされ改憲に向けての環境整備にもなるのではあるまいか。
日本政策研究センター所長 岡田邦宏 『明日への選択』平成25年12月号