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光 《恩》 を見ない心が盲目を起す

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 目は“夫婦(めおと)”〈女男止/めおと〉をあらわす。

 夫婦の位置は、互に自分と同じ高さに並んでいるのである。 目の外側の“目尻”は観相用語では“魚尾(ぎょび)”と言って魚のシッポみたいな皺の寄る個所があり、左は夫を、右は妻を表わす。 或は女自身から判断すると左は自分自身、右は妾とか他の女の人をあらわすのであるが、ここは男女の貞操を表わす所で、魚尾の美しい人は貞操が堅固であるということを表わしているのである。 魚尾が汚い色沢や斑点がある人は、貞操的にその人はあまり清らかでないことを表わす。


 さて、目というものは、夫婦を表わすこともあり、祖先を表わすこともある。

 目の‘ひとみ’を“目の仏様”と言うこともある。関西では「目の‘ほとけ’様に星がかかった」などとも言う。 知らず識らず潜在意識がそういうことを言わせるのである。 つまり仏様(祖先)が迷っているとき、その霊波が憑って来て‘そこひ’などになるのである。

 祖先の霊魂に対する供養が足りないという時に‘そこひ’になることがある。“底”はいのちの根底であり祖先である。 その元が“干(ひ)”ておって枯れている。それが“底干(そこひ)”である。

 大体、目というものは“光を見る”器官である。 祖先の御恩 ―― これは光です。その光を見ない心、これが‘そこひ’になる原因です。 そして、光を見る心をおこすと、視力が増進してくることになる。 また家庭の内に、嫌いな人があって、あんな奴の顔を見たくないなどと思う。 そうすると視力が衰えて来たりする。 やはり光を見ない心である。



                    谷口雅春師  『白鳩』誌 48年9月号

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