昭和53年11月、龍宮住吉本宮落慶鎮座奉祝大祭が厳粛に挙行され、住吉大神を御顕斎申上げる歴史的大祭典を執り行うに当り、生長の家総本山・生長の家宇治別格本山・生長の家本部の祭祀担当者の協議の下で、祭祀に関する作法の統一が進められました。
生長の家に於ける祭祀作法は、萬教帰一を目標として如何なる宗教に属する人からでも受け容れられ易い、日本古来の神道的礼儀作法に則って制定されました。
このことについて谷口雅春先生は ――
『何故生長の家では祭官が神道的服装をし、神道的儀礼に則って祭祀を行うかと問う人がある。 先ず第一に、何故神前に榊をそなえるのであるかという問がある。
これは 「古事記」の天岩戸開きのときの行事に、 「天香山の五百津真賢木を根こじにこじて、上枝に八尺勾玉之御須麻流之玉を取り着け、中枝に八咫鏡を取り繋け、下枝に白丹寸手、青丹寸手を取り垂でて ・・・・・」 という故事に則ったのであって、
別に生長の家の独特の祭式の行事として特に定めたものではないのであるが、萬教帰一の生長の家のことであるから、神道佛耶等の色々の信者が集まるので、仏式にしてもキリスト教式にやってもよいのであるが、
仏式に葬祭の行事をやればキリスト教の人は反撥するであろうし、キリスト教式に葬祭の儀式をやれば佛教の人は反撥するであろうから、そこで日本人ならキリスト教の人でも、佛教の人でも、神社詣りをするので、神社の式典的な儀式なら、佛教の人でもキリスト教の人でも反感なしに集まり易いので、萬教帰一を目標とする生長の家では、その葬祭の儀式作法は、特別のことは除き、だいたい神社式典の儀礼作法に則って行うことになっているのである。
だいたい神社式典は、宗教のように思う人もあるが、神ながらの道 ―― すなわち、自然の道がそのままに生活習慣にあらわれたものであって、何々宗というような特定の教義を宣布するところのものではないのである。』 《 『白鳩』誌 45年10月号 》
25年7月7日 生長の家国際本部事務所のオープンイベントは
この生長の家『祭祀作法』に則った式典ではありませんでした
何故ならば、
『これから世界に向って光明化運動を展開していく際には、
この大生命の多種多様性を形の上でも表現していく必要がある。
他の国の異なった文化の中で生きてこられた人々の中にも
神さまに対する「愛」や「畏敬」や「憧れ」の思いがある
その表現形式は、その人達の伝統文化に基いた形式でいいのである。
つまり神道形式である必要はない』
平成5年11月22日 谷口雅宣
谷口雅春師生誕100年記念の式典の席で否定してしまっていたのでした。