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感謝するということ

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 兎に角感謝は癒す、と生長の家で教えて頂きますが、感謝の功徳は絶大です。

 でも一体何に感謝するのですか、と時々反問せられる方があります。 何に感謝すると言って当り前に感謝するのです。 当り前程有難い事は無いと思うのです。

 目が見える事、耳が聴える事、ものが言える事、手足が動く事、この当然の事が一度当然さを失うと、忽ち天地が暗くなる程悩むものなのです。 私達は平素から此の当り前に感謝する習慣をつけなければなりません。

 皆様は子供の目が見える事を喜んでいらっしゃいますか。 耳が聴えること、手足が動く事、考えてみると感謝すべきことは山程あるのでは無いでしょうか。


 あの大無量壽経の第十七の願の中で  『咨嗟して吾が名を称せよ』  と教えられております。

 咨嗟するとは声を大にして阿弥陀仏の徳を讃えよ、という事ですね。 一杯の水を飲むにも  『阿弥陀さま、あなたのおかげで此の有難い生命の水を頂かして頂けるのです。 有難うございます』  と感謝せよという事なんです。

 御飯を頂くにも単に物質の御飯を頂戴するのではない。 これ悉く仏の功徳ならざるものは無いのであります。 声を大にしてその功徳を讃え讃嘆称揚する人が極楽に住まわせて頂くのです。 

 子供を育てるのも、吾が子であって吾が子では無い。 これ皆神が授け給うた尊いみ宝として、常にその徳を讃えるのが育児の根本になるのであります。 夫婦の生活も互に咨嗟し合う所に幸福が築かれるのです。 

 『汝等互に相愛せよ』 と創世記に有りますが、この調和と感謝の悦びの生活こそ人間が神の祝福を享ける根本に成るのであります。


 
               北 尾  巳 代 次  『生長の家』誌 45年6月号
 

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