日本は河野談話で慰安婦の強制連行を認めた――。 大多数の日本人がそのように考えている。 しかし、本当にそうなのだろうか。
むろん、作成者たる河野洋平元官房長官自身はその趣旨だったであろう。 しかし、実際の談話案文作成者であった官僚たちは意外とまともだった。 そんな根拠もないことを簡単に認めるわけにはいかない、と彼らは考え、案文ではギリギリの表現に留めようとしたのである。 余り知られていないことだが、今回はそのことを語らせていただいた。
根拠は自民党の「歴史教科書議連」が平成9年3月に開催した勉強会での、東良信・内閣外政審議室審議官の証言である。 東氏は河野談話の中で「慰安婦の募集」について書いている部分につき、慰安婦への「甘言、強圧」に関し、「官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった」としている部分に対し、それはインドネシアであった一部隊の戦争犯罪行為について述べたもので(これは一ヶ月後に参謀本部から処罰されていると同時に、戦犯法廷で責任者は死刑になった事件)、それ以外に日本軍が組織的にそのようなことをした事実はないし、またとりわけ朝鮮半島でそのようなことをした事実もない、と証言しているのである (『歴史教科書への疑問』展転社)。
そして、その証拠として、河野談話では「慰安婦問題一般」についてまず最初に言及し、その後であえて改行してから、朝鮮半島について敷衍していることに注目してほしい、と指摘しているのだ。
むろん、そこには「総じて本人たちの意思に反して行われた」との文言がある。しかし、不思議なことに、この一節には主語がない。業者なのか軍なのか、それがぼかされているのである。河野氏は当然軍だといいたかったのだろう。しかし、官僚たちはそんな事実に反したことは書けないと考え、あえて主語を抜いたのだ。業者と書けばよいところだが、官僚の立場としてはそこまでは抵抗できなかった、ということではないか。
こう考えれば、河野談話で軍による強制連行を認めてしまった――という認識には少々留保が必要ということになろう。 繰り返しいうように、河野談話といえば河野氏の顔が思い浮かび、それはトンデモないものに違いない、との認識になる。 しかし、その下で働いた官僚たちには官僚としての自負があった筈なのだ。上の政治判断によりこのような文章を作文させられる羽目になったが、「なかったこと」を「あった」とは書けない、と彼らは考え、結果的にこのような苦渋の文章にまとめたのだ。
いうまでもなく、こんな談話はいずれ撤回されるにしくはない。 しかし、問題はそこに至る前である。 そんな段階でも、やはり日本人として主張できる部分は最大限主張すべきではなかろうか。 「あなたは河野談話を、強制連行を認めた文書と考えておられるようですが、実際はこういうことなのですよ」――と。
少なくとも、「政府だって認めているじゃないか」と河野談話を突きつけられて、「その通りだ、どうしようもない」と、そのまま反論もせずにすごすごと引き下がるより、ここは少々わかりにくかろうが、「本当のことを百回繰り返す」方が戦いとしてベターではないか、と考えるのである。
日本政策研究センター代表 伊藤哲夫
〈ChannelAJERプレミアムメールマガジン 平成25年12月5日付より転載〉