産経 西論 2014.7.26 経済部長・安東義隆
前代未聞の不祥事が起きるずっと以前のことだ。 理化学研究所発生・再生科学総合研究センター (CDB) を見学した。 ガイド役の若い研究者が見せてくれたのがプラナリアだった。
池などの淡水に生息する、たった数ミリの生き物。 にもかかわらず、一対の眼、脳、神経、消化管、咽頭など動物としての基本構造を備えている。 すごいのは再生能力だ。 仮に数百に切り刻んだとしても、それぞれの断片から元通りの完全な体に再生される。 それを可能にしているのは全身に存在する全能性幹細胞だという。
生き物が持つ実に不思議なメカニズム。 それが解明できたら ・・・。 ヒトの体でも再生能力に手を加えることでプラナリアに近いことが可能になるかもしれない。 SFの世界を現実にする。 そんな研究が大まじめに行われていた。 人類を月に送ったアメリカの 「アポロ計画」 を思い出させるスケールに、夢を感じずにはいられなかった。
■震災復興きっかけ
CDBが神戸市に誘致されたのは阪神大震災 (平成7(1995)年1月17日) がきっかけだ。 市が考えた復興は 「元に戻す」 ではなく 「新たな価値の創造」 だった。 では何を創るのか。 当時、遺伝子を操作する技術が脚光を浴びていた。 生命科学を医療に応用し、産業化に成功した者が世界を制す。 各国が研究開発でしのぎを削っていた。
そんな時代背景から市は神戸港に浮かぶ人工島、ポートアイランドに 「医療産業都市」 を建設することにした。 「山、海へ行く」。 高度成長期、そんなスローガンをかかげ、市は山を削り、海を埋め立てて港を整備。 「株式会社神戸市」 といわれた。 構想は成長のインフラを港湾から医療へ転換するイノベーションだった。
日本は基礎研究に強い。 しかし産業化する力が弱い。 そこを補強するにはクラスター化が有効とされた。 クラスターとは 「房」 という意味だ。 研究所、病院、大学、企業に加え、それらを橋渡しする施設を1カ所に集約。 さまざまな分野の専門家が集まり、交流することで研究開発のスピードアップや価値の最大化がはかれる。
医療の産業化には日本の国益がかかっていた。 政府も神戸のクラスターに巨額の投資を行った。
■国内最大のクラスター
CDBの基礎研究の果実は医療に転用される。 そこで隣に 「先端医療センター」 が建設された。 ここには患者が入院できる病床がある。 渡り廊下でつながる両施設が平成15年に開業すると、クラスターの看板としてヒト、モノ、カネを呼び込んでいった。
ポートライナーの駅を挟んで東隣に日本初の 「臨床研究情報センター」 がある。 IT専門家がいて研究計画書や論文の作成を手伝ってくれる。 全国から利用を受け付けている。
北側には産官学連携で医療機器を開発する 「国際医療開発センター」 がある。 計画を主導したのは生体肝移植の世界的権威、 田中紘一・京都大名誉教授だ。 隣接する病院では生体肝移植など高度医療を行う。 海外からの患者受け入れも視野にある。 伊藤忠商事の寄付で、海外から医師や技術者が集う国際交流施設もオープンする。
甲南大、神戸大など大学の研究施設も進出した。 神戸大は 「切らずに治す」 がん治療の専門病院を開設した。
理研はCDB以外に創薬や遺伝子治療を対象にした研究センターも設置した。 さらに世界一の計算速度で話題を呼んだ スーパーコンピューター「京」 が新薬開発で威力を発揮する。
中央市民病院がCDBの北側に移転した。 機能強化がはかられ、臨床研究を支援する。 市はベンチャー支援のファンドも設立した。
現在も 「最高の研究」 を目指し、国内外からトップ級の研究者が集まる。 薬や医療機器のメーカーを中心に企業・団体の数は300に迫る。 国内最大のクラスターに成長した。
■韓国、中国を喜ばせるだけ
ここまで順風満帆だったかにみえる。 が、実は突き破れない 「成長の天井」 があった。 数々の法規制だ。 クラスターのモデルを米国に求め、アジアではトップを走ってきた。 しかし後発の中国、韓国、シンガポールの追い上げに関係者は焦りを隠せなかった。 基礎研究から臨床研究につながるサクセスストーリーがほしかった。
そんなある日、ビッグニュースが飛び込んできた。 iPS細胞の発見だ。 CDBの高橋政代氏はiPS細胞を用いた網膜再生治療に挑戦。 世界で初めて患者に試すことが認められた。 岩盤規制を突き崩す国家戦略特区の指定も確実になった。 これでアジアのライバルとの戦いも有利に運べる。そのとき不祥事は起きた。
理研の改革委員会の提言は CDBの「解体」 だった。そのニュースに耳を疑った。 それが撤退や機能縮小といった弱体化を意味するなら、実に愚かな判断だ。 CDBは今後も発展途上のクラスターを牽引(けんいん)するエンジンなのだ。 医療産業都市を柱にすえた関西の成長戦略は狂う。 国益も損ねる。 喜ぶのは中国、韓国などアジアのライバルだ。
先日、高橋氏がツイッターに研究中止を示唆する書き込みを行い、物議を醸した。 騒動の長期化は研究の環境悪化を招く。 それは実用化を心待ちにする難病患者の期待を裏切ることを意味する。 それを高橋氏は訴えたかったに違いない。
「STAP細胞はあります」。 その真偽の究明ばかりにエネルギーが注がれていないか。 当事者である小保方晴子氏、その上司の笹井芳樹氏をさっさと処分すればいい。 STAP細胞はCDBの研究の一部に過ぎない。 他の研究を守れ。 草創期からの大切なミッションを思い起こせ。 一日も早く組織のガバナンス (統治・管理) を取り戻すことだ。 そこを見誤ってはならない。