世界平和が唱えられるけれども、すべての人間がただ一つの神の生命の分派であり、互に兄弟姉妹である ―― 更に進んでは、彼は我であり、我は彼であり、彼我一体であるというところまで其の自覚が進まない限りは、本当の “世界平和” も “国内平和” もあり得ないのである。
見よ、この世界を。 如何に利己主義や党派根性や派閥根性によって、他を倒してもよい、自分だけ栄えたらよい、自分の団体だけが増大したらよい、自分だけが権力の座について他を圧したらよいという気持で、常に争い、戦い、傷つけ合うのに懸命になっていr有様は、全く地獄相というほかはないのである。
これらは皆な、五官の感覚によって人間の外面の姿である肉体だけを見て、肉体は互に別々であるから、彼我一体の感じがしないで、彼の悲しみは自分の悲しみの感じがしないし、彼の苦しみは自分の苦しみの感じがしないで、自分だけ楽しく、自分だけ幸福でいられれば宜しいと思うようになっているからである。
このような利己的な考えを一掃しようと思ったならば、人間は肉体ではなく、肉体は単なる人間の外皮であり、道具であり、 「肉体の奥に物質の奥に霊妙きわまりなき存在がある」。 それが 「本当の自分」 であり、 「本当の人間」 だと悟らなければならないのである。
谷口雅春師 『生長の家』誌 昭和40年2月号