『汝ら求めてなほ受けざるは慾のために費さんとて妄りに求むるが故なり』 とヤコブの言葉は金を儲けたいと想いながら、中々儲からず、損をする人たちに適切な金言であるといわなければならない。
慾を棄てて人類の希望と人類の魂の向上とに奉仕するために、あなたが誠意ある行動を行えば、自然に福田がつくられて、家庭は幸福となり、現象界の富もおのずから得られる事になるのである。
行ないなき信仰は空念仏であり、功徳は乏しいのである。 ヤコブは言う、 『ああ虚しき人よ、なんぢ行為(おこない)なき信仰の徒然(いたずら)なるを知らんと欲するか ・・・・・ 』 と。 しかしまた信仰なき行動は、 “吹く風” “揺れる地震” のようなものであって、ただの盲動となるのみであって、自己を生かさず、また他(ひと)を生かす事ができないのである。
毎朝怠らず神想観を修して信仰を深め、神の “声なき声” に耳を傾け、神の導きに従って行動するならば、毎日の行ないが一々肯綮に当り、希望が成就し、自己を生かし、他を生かし、自己の行為が世を照らす光となる事ができるのである。
谷口雅春師 『白鳩』誌 40年7月号
光明法話の過去記事は左欄『今日の言葉』