「神」 なる “永遠の完全理想” に近づこうと云う努力が “真実なる祈り” である。
“真実なる祈り” とは、「病気を治して貰いたい」 とか 「金を儲けさせて貰いたい」 と云うような利己的満足を懇願することではないのである。 「神」 なる 「永遠の完全理想」 に近づくことによって、 「永遠の完全理想」 の中には、病気も貧乏もないから、自然、病気も貧乏も消滅してしまうのである。 過去の心と行いとに対する懺悔の念が、その人から “ニセモノ” の殻を脱がしめ、神の波長に近づける心境にその人をするのである。
神に近づくには真剣でなければならない。 「明るく笑え」 と言っても、冗談や不真面目な笑いであってはならないのである。 真剣に神に近づくことを求むる者のみが、自己の人格を聖化することが出来るのである。 誘惑に負けてはならない。 吾々は自己の “心の波長” だけのものを受取ることが出来るのは、ラジオ・セットと同じことである。
谷口雅春師 『生長の家』誌 昭和33年12月号より