人を尊敬せよ。 然らばまた自分も尊敬せられる。 人を侮辱せよ、然らば、また自分も侮辱せられる。 人に対して、“あしざま” に罵れば、自分もまた “あしざま” に罵り返されるのである。
礼儀は良き作法を身につけることであるのである。 人に対して礼儀正しければ、人もまた自分に対して礼儀正しくなるのである。
しかし良き作法の根本は 『人を尊敬する心』 である。 人を尊敬する心なくして、形ばかり礼儀をととのえても、それは虚礼であり、偽善であり、相手には本当に好感をもって受けとられないものである。
その人の精神雰囲気が相手に伝わって、それが精神の伴わない虚礼であることを相手が感ずるからである。
若し人生から “良き作法” が消えてしまったら、それは知識ばかり発達した 『動物の世界』 に堕してしまうであろう。 ヤクザの中にも仁義があり、挨拶するときの作法があるのである。
家庭の中で家族互の生活にも儀礼を失ったとき、子供は親に対する尊敬が消え、長幼の序が乱れ、そこは人間の住む家でなくなり、動物が親子諸共雑居する単なる “動物の巣” になってしまうのである。
作法は茶の湯をたてるときだけが作法ではないのである。 日常生活の一挙手一投足が作法にならなければならないのである。
谷口雅春師 『女の浄土』より
光明法話の過去記事は左欄『今日の言葉』