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真理の自覚を研いておくこと

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 聖書や仏典を心讀すれば、人間の本質(実相)が如何なるものであるかを知ることができる筈であるが、なかなかその解釈がむつかしいのと、何処にその真理の中心があるのか不明なために、その真理を捉え得ないのが普通である。

 ところが 『生命の實相』 を讀めば、聖書や仏典に書かれている真理を開く鍵が得られ、それによって今まで難解であった聖書仏典の章句の意義があきらかになり、祖先伝来の宗教のよさがわかり、それがそのまま有り難くなるばかりでなく、宗教が実生活に応用できることになるのである。

 だから真理を自覚する最善の道は 『生命の實相』 を一日数頁は必ず讀むと云うことが、幸福生活を実現する道だと云うことになるのである。 その次に必要なことは教えの集りに出席して、真理を一歩でも多く到達した人に接触し、その座談を聴き、体験に接することである。


 私たちの日常生活は、大抵、物質の争奪や、虚栄、虚名をもとめる煩労に汚されているのであるから、一日のうちの或る時間を、それらの汚れた生活から離れ去って、 『生命の實相』 を讀み、神想観をし、或は真理を求める同信者との会合に列席して心を清めることが必要なのであるのである。

 人間は神の子であり、霊的実在であることは、一度でも 『生命の實相』 を讀んだり、講習を受けた者には明らかなことであるが、その真理を知っていながら、その真理が日常生活の煩労によるゴミに掩われてしまって役に立たないような状態になっていることが実に多いのである。

 嘗て讀んで知っている真理は、整理箪笥の抽斗の中に入れてあって忘れている道具のようなものであって、‘ある’には在るのだけれども、何処に入れてあったかを急にそれを持出して実用に使えないのである。 大工はつねに自分の道具を磨いて整備して置くものであるが、真理を有効に使おうと思ったら、常に真理の自覚を磨いておかねばならぬ。 その磨きが聖典読誦であり、神想観である。


                 谷口雅春師  『生長の家』 昭和36年新年号

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