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実相の善き言葉で、人類の言葉を浄める

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 ヨハネが福音書を書いた時分には「言葉は神なりき」であって、もうすでに言葉は神ではなかった。 それはどういう意味であるかといいますと、言葉は、 實相の言葉 と 嘘の言葉〈つまり迷いの言葉〉 との二種類があるのであります。

 「言葉は神である」というのは、實相の言葉、すなわち善き言葉が神であって、善き言葉を使う時、この善き言葉の力によって創造られるものはすべて善きものであるということであります。

 それが反対に、本来の善き言葉が汚され歪められて、われわれが神の言葉、實相の言葉を使わなくなり、悪しき言葉を使う時、その言葉の力によってこの世は乱れ、汚れ、天災地変、その他家庭争議などと、災い多き、悪しき現象となって現れてくるのであります。

 この時、もう「言葉は神なり」ではなく、「言葉は悪魔」なりになっているのであります。

 それで生長の家の人類光明化運動とは、人類の言葉を浄めて、ほんとうに神の言葉にするということであって、人々の言葉を、本来の神より発する言葉、実相より発し実相を讃える言葉にしてしまおうというのが目的で、これこそわれらの人類光明化運動の究極の目的なのであります。


 本来われわれは神の子であり、その実相は神であります。 この実相より発する言葉は必ず善ならざるを得ないのであります。 すべての人みな神の子でありますから、すべてこれ善人なるべきはずであります。

 ところがこの世の中には必ずしもことごとく善人の姿をした人間ばかりはいない。 またそのことごとくが神の子らしい幸福さを備えていないというのは、とりもなおさず実相から出た言葉がこの世界を形造っていないからであります。

 実相ならざる言葉、罪とか、病とか、死とか、本来ないものを、あるかのごとく装っている言葉がこの世の中を占領しているからであります。

 そこでわれわれの使う言葉を実相の言葉 ―― 神より出でた浄(きよ)まった本来の
善き言葉のみに還元したならば、実相の言葉によって、すべてのものが実相の姿をこの世の中に現わしてきてたちどころに地上に天国浄土が湧出するというわけであります。


                        『生命の實相』教育実践篇上

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