【産経抄 2月12日】
田母神俊雄氏が世の注目を浴びたのは平成20年10月末、自衛隊の航空幕僚長を「クビ」になったときだ。 先の大戦を「日本の侵略」とする歴史観に異を唱える論文を公表した。 これが政府の見解と異なるとして、当時の自民党政権により更迭されたのだ。
▼政府見解とは平成7年、村山富市首相による「村山談話」だった。 確かに大戦の要因を「植民地支配と侵略」としている。とはいえ侵略か否か歴史学としては意見の対立がある中で、綿密な検証や論議を経たのではない。 中国や韓国への配慮に満ちた談話だった。
▼だが当時の政党やマスコミによる田母神批判は異様だった。 新聞各紙は「自衛官の暴走」「ゆがんだ歴史観」と極悪人のように決めつける。 村山談話の問題点を指摘、「歴史観封じてはならない」とした産経新聞の「主張」にまで、矛先が向けられたほどだ。
▼それから5年あまり、田母神氏は東京都知事選で約61万票を得た。 4位とはいえ、相手は知名度抜群の元首相や元厚労相である。 政党など大きな組織とは無縁の戦いだった。そ れでいて各出口調査によれば、20代では2位につけていた。 これはもう善戦どころではない。
▼むろん防災対策や原発使用論など現実的政策がうけたという面もある。 「私は本当にいい人なんです」と切り出す話術も巧みだ。 しかし選挙戦が始まるときは、まず靖国神社を参拝している。 演説でも慰安婦問題などに触れ「誇りある歴史を取り戻す」と訴えた。
▼それだけに、その歴史観が相当受け入れられたものと考えてもいい。 あれほど「田母神たたき」に終始したマスコミや政府も決して無視できない61万票だ。 中、韓が反日の有力武器としている村山談話を見直すきっかけともなるはずである。