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Channel: 晴れときどき競馬とホークス
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信仰と人生

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 信仰の生活は安易なイージーないい加減なものではない。

 併し信仰によって神につながる時、我らは神の愛の慈手によって導かれ、ついに困難をのり切るのである。 

 レースに於ける競争者は殆どまけそうになる所でテストされると云われている。 競争中彼は何回も、何回ももう抜かれるかも知れない。負けるかも知れないというキワドイ瞬間を経験する。 然も彼は走り続ける。 もうこれ以上耐えることの出来ない限度が幾度も来たと思いながらも不思議な力に支えられてそれを突き抜けて行くのである。 斯くの如くして彼は、信仰につながる忍耐のゆえに、ついにレースの優勝者となるのである。

 信仰の開拓にも同じことが言えるのである。 吾々はもう続けることが出来ないと感ずるような苛烈な人生体験に面するのである。 もう事業の根拠は失われ、生活の地盤は崩れ、わがたよりたる城は落ちてしまったと云うような苦しき苦い体験に出喰わすることがある。 このような時に信仰なき者は 『神も仏もなくなった』 と考える。 しかし吾々が神の善意を信じて最後まで持続するならば、またどんな高価な価を払おとも最後まで行きつこうと決心するならば、やがて吾々は筆紙に尽すことの出来ない信仰の悦びを得ることが出来るのである。 その時、労しただけのお蔭があるとわかるのである。

 信仰への途は、最初は安易な御利益信心から出発する。 そして有頂天となり、やがて中途で光を失って大いに悩む。 それは最初に見せられた光であり、自分が見出した光ではなかったからである。 しかし一度見た光を見失うまいと勇気を鼓して進むときついにその目標に到達する。 其の時始めて彼は自分の蒔いた光の種を刈り取るのである。



               谷口雅春師  『生長の家』誌 24年7月号 巻頭言



光明法話の過去記事は左欄『今日の言葉』

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