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如何に言葉を駆使すべきか

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 吾等の言葉は、創造の原動力を有する。
 
 そしてそれは吾らの境遇、吾らの世界、吾らの肉体の上に作用してこれらを善にも悪にも変改し得るのである。 されば、吾等は発する言葉を如何程選択しても選択しすぎると云うことはないのである。 宇宙は、感覚鋭き耳である。

 吾等はこの鋭き耳に対して、いやしくも人を傷つける言葉を聞かしてはならい。、
 卑陋の思想を人に印象する如き言葉を聞かしてはならない。
 そして人を引落す如き言葉を聴かしてはならない。

 然るに、自己の家庭を呪い、職業を呪い、境遇を呪い、自己自身を呪う如き徒(いたずら)なる言葉を発する人々が如何にこの世に多くあることだろう。

 悲観的思想を発表することはこれに相応する雰囲気を醸し出すことである。 
 それはやがて自己の恐るる事物を吾等の周囲に作り出さずにはいないのである。

 冷酷なる言葉を発することを休(や)めよ。
 冷酷なる言葉はその人に冷酷なる境遇をつくるからである。

 人を審判(さば)くことを休(や)めよ。
 その審判(さばき)の言葉は不快な境遇を造らずにはいないのである。

 聖書には 「人の口より発する徒らなる言葉は、すべて審判(さばき)の日に数え上げるべし」 と云うように書いてある。審判(さばき)の日と云うのは未来ではなく、常に各人の今である。


 低劣なる霊魂(ひとびと)が常に自他の運命を破壊する言葉を発しているに反して、尊き霊魂(ひとびと)は常に自他の運命を建設する言葉 ―― 愉快なる言葉、善意の言葉、自他を勇気付ける言葉を発しているのである。

 かかる人々は人類に対する祝福の与え手である。 しかもかかる祝福の与え手になることは誰でも欲しさえすれば出来ることなのである。 彼は人類を祝福する。その代りに全人類は彼を祝福されたる者と仰ぐのである。

 かように他を押し上げることは自己を押し上げることである。 しかも善き霊魂は自己を押し上げようと思っていない。

 彼が優しき言葉を投げかけるのは、それが幾日かのちに自己に返って来ることを預期してではないのである。 彼がそれを為すのは彼が彼の同胞 ―― 人類を愛するからである。 聖書には、言葉は足を照らす燈台となり、道を照らす光となれりと録(しる)されている。

 もし諸君が時代の救済者となろうと思われるならば自己の思想感情に最上のものを以って充たせ。 努め励みて己が心情に最も善きものを保つように心掛けよ。 ここからのみ生命の泉は湧いて来るのである。

 吾等が思想感情に美と優雅とを貯えて置くならば吾等の言葉は美と優雅とを備えて流れ出て来るであろう。

 ある詩人は歌って言う。

    さらば汝の内奥の思想を明るいものたらしめよ
    思想は生ける力をもって働きかけ
    言葉とあらわれて運命を形造る
    神の描きたまいし構図の如何に荘厳霊妙なることよ


                     谷口雅春師 『人生は心で支配せよ』

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