人は自分の “心” によって自分の住む環境をつくるのである。
「蟹は自分の甲羅に似せて穴をつくる」 という諺があるが、人間は、自分の想念に似せて “自分の住む世界” をつくるのである。 “自分の住む世界” がどんなに暗黒であろうとも、それは “自分の心” がつくり出した穴であり、その穴からのがれるのも自分の心によるのである。
自分の心でつくった牢獄から脱け出す道は、自分の “心の鍵” で牢獄の扉をひらくよりほかに道はないのである。 それを仏教者は 「自縄自縛」 とか 「無縄自縛」 とかいったのである。
縄がないのに自分の心で縄をつくって自分を縛っているのである。 実例で説くならば、自分の “心の迷い” で “病気” をつくり出しながら、その “病気” を見てそれを恐れて “心の迷い” を一層深くするのである。 そして迷いが一層深くなれば、病気の症状は一層増悪し、その症状の増悪を見て、心愈々迷うという風に悪循環の環をくり返すのである。
私たちがこの悪循環の鉄鎖を断ち切るためには、心が現象の症状を見ず 〈見ないからそれに捉われず〉 「人間・神の子」 の完全な実相の方へ心を振向けることが必要なのである。 この、心の実相の 「完全な相(すがた)」 に振り向ける修行が神想観なのである。
谷口雅春師 『生長の家』誌 昭和46年新年号