何故、人間は或る局面に処して判断を誤り、不適当な行動をとるのであろうか。
それはその人に神の叡智の流入がないからである。 これはその人の心が「正」であるとか「不正」であるとかの問題ではない。 その人の心が殻で蔽われていて「無限者の智慧」の流入するパイプを閉鎖してしまっているからである。 これを仏教では「無明」と言う。
私たちが人々に教えている真理は此の「無限者」の智慧の流入する道をふさいでいる「個我」の殻を除いて、「無限者」の智慧と融合する道である。
これは単に書籍によって自己が“神の子”であり、「無限者」の生命を自己に宿すものであると云うことを理論的に知るばかりで足りるのではなく、神想観によって、個我の想念を滅却して「無限者」の中に没入する修行を為すことが必要なのである。
神想観を面倒くさがって行わない人が往々あるけれども、最初の倦怠を克服する努力を重ねることによって神想観が楽行となるのである。
谷口雅春師 『生長の家』誌 昭和36年新年号