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Channel: 晴れときどき競馬とホークス
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自分の欲望は後にせねばならない

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 神の祝福を受けるためには、神の御心を先にして、自分の欲望は後に置かねばならないのである。

 何か特別の希望とか願いとがあって、それを神にお祈りしたけれども実現しない時に 「神はこの私の願いを諾き給わないのだ」 と悲観したり、絶望してはならないである。

 荷物は馬よりも後方にある車に載せて置かねばならないである。 荷物を積んだ車を馬の前方に繋いでおいて 「馬よ、この荷物を私の家へ搬んでくれ」 といっても馬は前進することが出来ないのである。

 神の力を馬に譬えては申訳ないが、無限の宝を“実相世界”から曳き出して来る力 〈即ち“神”の力〉 を先に置いて自分の希望する宝を積んだ車を、その後方に置かねばならないという譬えである。

 先ず 「みこころの如くならしめ給え。 みこころならばこれを実現せしめ給え」 と祈って、わが希望を後ろにつづける方がよいのである。 それが自分にとって最高の宝だと思っても、神が 「それは今のお前に適しない」 と思われたら、その車は動き出さないで、もっと善い宝を曳き出して下さるであろう。


                谷口雅春師  『生長の家』誌 昭和45年4月号

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