毎朝の人生の出発にあたって、神想観と祈りとによって、神との一体感を深めるようにするならば、その日いちにち神との一体感を持続して生活することができ、一日中 神に護られ、神に導かれて何事も順調に事が搬ぶようになるのである。
神と偕に生活することができるならば、人生のあらゆる場面に於いて周囲の人々と調和することができ、あなたの周囲の人々から尊敬と愛と深切とをもって迎えられることになるのである。 神は無条件に吾らに与えていたまうのである。
では、“神の子”たる吾々も人々に無条件に与える心で仕事を誠実に行うべきである。 賃金や給料で自己の労力を評価してはならない。 若し賃金で自分の肉体を売るような気持があれば、その人は売買されたる奴隷の心境である。 無条件に人類に奉仕する心境のみが神の子の心境である。 賃金はその奉仕に対する謝恩として自然に与えられて来るのである。
無条件の奉仕 ―― それに対する感謝・謝恩 ―― そのような社会が“神の子”たちの形成する地上天国である。
事業に躓いて来たときには、事業が今まで自分に与えて来た恩恵に対して感謝が足りないで、唯、その事業から“甘い汁”を吸って来たに過ぎなかったことを反省して、その事業に感謝するがよい。
時代の推移や経済構造の変化や新しい発明等によって、過去に繁栄してた事業でも衰微して来て、販路が益々縮まることもあり得る。 常に神想観して神の叡智を受けている者は、その遷り変りに速やかに対処して自分の事業に新しい転換を与えることができるのであるが、神想観による「叡智の受信」を怠ったり事業に対する感謝を忘れたりしていると行詰ることになるのである。
併し、今からでも遅くない、今までの事業を止めるにしても、方向転換するにしても、その事業に感謝し、而してのち、神想観を毎日、怠らず実修することにして神の叡智の導きを受信してそれに従えば、新たに活路をひらくことができるのである。
谷口雅春師 『生長の家』誌 昭和40年8月号