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「感謝」こそ救いの根本

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 誰かに頼んで祈ってもらって、苦難から逃れようとするくらい卑怯なことはありません。 生長の家は、世間一般にあるような祈祷宗教ではありません。 「拝み屋」 と間違えてはなりません。 

 谷口雅春先生は、 「神は私たちに真剣を要求し給う」 とも御教え下さり、 「価を払わずして受けることだけを求めてはならない」 とお示し頂きます。 お金だけを払って、かわって祈ってもらうことによって、幸せになろうなどと考えることは楽で、よいでありましょうが、そんなところから自信も安心も絶対に生れません。 正しい信仰が生れる道理がありません。


 徹頭徹尾 自力の否定であり、感謝以外にはないのであります。 祈りも感謝、愛行も感謝、神想観も聖経読誦も悉く感謝であります。

 自己中心の祈りや行は、生長の家ではありません。 目的や都合から出発した行は、どんなに完璧に出来ても、不安を取りのぞく力とはなりません。 やりながら不安を伴うのであります。 それは心の底では自分を頼み、結果を期待していることになり、肝腎の神様がぬきになっているからです。 神様が抜きになっていて救われるはずがありません。 神に全托したものは、あるのは唯感謝のみであります。 感謝以外に努力は救いにつながる努力とはなりません。


 『七つの燈台の点燈者の神示』 の中にも、一にも感謝、二にも感謝、感謝、感謝、ただ感謝だけとあります。 あまり感謝ということばが多いので数えてみましたら、何とあの短い御文章の中に、十四回も感謝というおことばがあり、最後の方に、

   『その感謝の念の中にこそ、汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう』

とお示し頂いています。 これをみても、生長の家がどんな教えであり、どんな方法で救われるかが明らかであります。 この 『七つの燈台の点燈者の神示』 は何十とある神示の中の、根本の神示であり、み教えを代表する神示であります。

 その神示で 「感謝」 がすべてであり、それのみが救いの根本であるとお示し頂いておりますから、私たちはその教えに素直に従い、信じて行ずる以外に方法はありません。 それ以外のことを考えたのでは、生長の家ではなくなります。


                       藤原敏之著 『すべてを癒す道』より

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