【力を得る原則】は
神を自己の最も近しきものとして感ずることです。
神を『親さま』と感じ、『御親』として感じ、
今現にその慈手の上に抱かれていると感ずることが必要です。
今現にその慈手の上に抱かれていると感ずることが必要です。
自分が神の子であり、神が自分を通して
神の生命を顕現したまうことを常に自覚することが必要であります。
神の生命を顕現したまうことを常に自覚することが必要であります。
自分を『神の生命やどる』と感ずることが必要ですありますが
その同じ真理を、感謝を忘れ、
傲慢に『我れ神なり』と感じますと、
『我』の自分を『神なり』と主張することになりまして
大変な間違いを来たすことがあります
その同じ真理を、感謝を忘れ、
傲慢に『我れ神なり』と感じますと、
『我』の自分を『神なり』と主張することになりまして
大変な間違いを来たすことがあります
道元禅師は『自己を習う』は『自己を忘るる』と。
自己を捨て、自己を忘れ、自己を全然否定し去ったときに、
本当の自己を学ぶことが出来るのであります。
本当の自己を学ぶことが出来るのであります。
傲慢に『我れ神なり』と簡単に自覚するのが
生長の家ではありません。
生長の家ではありません。
『我』を否定し、否定し尽くしたる最後のギリギリにあって
『我れ生くるに非ず、大神の生命吾にあって生くるなり』の
自覚に到達するのであります。
イエスの言ったところの
『われみずからにては何事も成し得ず』との自覚が
『われはすべての事を成し得』との自覚の根底になるのであります。
『我れ生くるに非ず、大神の生命吾にあって生くるなり』の
自覚に到達するのであります。
イエスの言ったところの
『われみずからにては何事も成し得ず』との自覚が
『われはすべての事を成し得』との自覚の根底になるのであります。
謙遜と自尊との一致。
謙遜のない自尊はただの傲慢に過ぎません!!