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Channel: 晴れときどき競馬とホークス
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“實相” と “現象” とを混同してはならない

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 自己の内にやどる “神” を観、すべての人々の内に宿る “神” を観て、自己尊敬と他己尊敬の心を起し、万事万物の奥に横たわる “神性” を礼拝し、その “神性” を生かすように、生かすように生活するとき、万事は都合よく順調に運ぶようになるのである。

 『あの人を “神の子” であると信じていたのに、裏切られた、これから人を信じてはならない』 などと人は往々にして考えるのであるが、それは “實相” と “現象” とを混同してしまうから、そんな考えが起るのである。

 『信ずる』 というのはその人の生命の實相が神の生命が宿っており、本来立派な圓萬完全なものであるということである。 しかし現象を見る時には、その實相の圓萬完全さがどの程度その人にあらわれているかを見なければならない。 そしてその不完全を知り、彼が本来の實相たる完全さがあらわれるように彼の實相を礼拝してあげることが、彼の實相を見ることであり、拝むことである。

 若し現象にどの程度實相があらわれているかを見ることが悪いのであれば、人物考査も美術鑑賞も出来なくなり、現象界の万事の評価もできなくなるのである。 だから現実に対する真実の評価は、實相の圓萬さを背後に肯定して、その上にどの程度その實相があらわれているかの批判によって成立っているのである。

 『實相の圓萬さ』 が背後になければ、現象の批判も成立たない訳である。



                谷口雅春師  『生長の家』誌 40年新年号より




光明法話の過去記事は左欄『今日の言葉』

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