『祝福する者が祝福せられる』 のです。
あなたは 『あの人は嫌いだ』 と思ったことはありませんか?
『あります』 と仰言るのですか。 『あの人は嫌いだ』 と思ったとき、あなたは、あの人を呪ったのです。 祝福の反対をしたのです。 あの人が、あなたにとって、不愉快に感じられるように現われて来るのは当然のことなのです。
其の人を祝福しなさい。
『あの人は神の子で、善い人だ。 善くない人だと思ったのは私の心の間違いだった』 と深く心の中で懺悔してお詫びして御覧なさい。 今まであんなに不快な事をしていた彼が、あなたにとって快いことをしてくれる人に変ります。
嘘ではありません。 必ず、そうなります。 暫く忍耐づよく、神想観中に、心の中で今まで間違った思いを懺悔し。相手を “神の子” として祝福することを続けて御覧なさい。 あなたの周囲が祝福に満たされた天国のように現われてまいります。
あなたは神を正しく理解しなければなりません。 神は雲の上にいて、吾々を罰しようと思って、吾々を監視しておるような人物ではないのであります。 神は宇宙到る処に、普遍的な愛として智慧として生命として存在ましましのであり、同時に吾々の中(うち)に生命として智慧として愛として宿っていられるのであります。
そして神の意志は必ず善であり幸福でありますから、自分自身の 『誤れる想念』 によって、そのおのずからなる顕現を妨げない限りは、必ず善と幸福とがあらわれて来るのであります。 あなたは今その 『誤れる想念』 を悉く棄てて心を神の完全さの方向に振り向けます。 そして神の祝福を今満喫するのであります。
あなたは感度の鋭い霊的ラジオセットにならなければなりません。 人から挨拶されても面倒くさそうに返事をする人は感度の鈍い安物のラジオセットであります。
すべてあなたの周囲にあらわれて来る人々は、神様の摂理で何らかの祝福か教訓かを与えるためにあらわれて来る人々でありますから、感謝と悦びの態度及び表情で受け取らねばなりません。
『神に口なし、人をして言わしむ』 でありますから、人の言う言葉のうちに真理があり、 『導き』 があり、自分の心の鏡があり、反省の資料がありますから、聴くのに耳がいたい事があっても感謝して受取るとき、すべての言葉があなたの魂を生長さす栄養となるのであります。
谷口雅春師 『白鳩』誌 39年7月号より
光明法話の過去記事は左欄 『今日の言葉』