産経新聞 7月30日 【野口健の直球&曲球】
戦争は誰しも嫌だ。僕が戦争を感じるのは遺骨収集活動のとき。 沖縄であの真っ暗闇の防空壕(ごう)の中、ヘッドランプの光を頼りに土砂を掘り続けているときに天井を見ると真っ黒に焦げている。 米軍が使用した火炎放射器によって多くの人々が生きたまま焼き殺されたのだ。 僕はこの活動を行う度に戦争の残酷さをリアルに感じてきた。
しかし、声高らかに 「戦争反対!」 と叫ぶことで戦争がなくなるのならば、ジョン・レノンの 「イマジン」 によって戦争はなくなっただろう。
幸いなことに日本はこの70年間、平和が保たれてきた。 しかし、全てが 「憲法9条」 のおかげか。 戦争は相手があってのこと。 いくら 「戦争の放棄」 と宣言しても攻められたときに備えがなければ滅ぼされる。 日本の平和が保たれたのは憲法9条というよりもむしろ日米安保体制による抑止力だったのではないか。
戦後、吉田茂首相は 「日本は軽武装し経済発展を優先する」 とし安全保障に対して 「金のかかるものはアメリカに任せる」 と発言したそうだ。 焼け野原から復興しなければならなかった当時の状況からやむを得なかったのだろうが、最も大切な部分を他国に依存した 「一人前ではない国家」 の姿ではなかったか。
「安全保障関連法案」 に関し憲法学者からは 「違憲」 との声が多い。 しかし、多くの学者は自衛隊の存在そのものを 「違憲」 と指摘してきた。 また憲法の解釈変更に 「けしからん」 との意見もあるが、変更は今に始まった話ではない。 例えば昭和29年に自衛隊を創設した際に 「自衛のために戦うことを合憲とする」 と憲法解釈を変更させたではないか。 では自衛隊も解体し、自衛のための戦いも放棄した方がよかったのだろうか。
「アメリカの戦争に巻き込まれる」 との意見も多いが、オバマ大統領の 「尖閣諸島は日米安保に含まれる」 との発言に多くの日本人が安堵(あんど)したはずだ。 これは日中紛争にアメリカを巻き込むことを意味している。 巻き込まれたくないのならば巻き込んでもいけないのだ。 戦後70年 「真の自立」 について考えるいい機会ではないだろうか。