Quantcast
Channel: 晴れときどき競馬とホークス
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2064

安保法制・反対派の無責任な煽動

$
0
0
 
 今回の安保法制は 「法治への反逆」 だと朝日がまたしても煽り立てている。 「国会で審議されている法案の正当性がここまで揺らぐのは、異常な事態だ」 ―― と。

 しかし、「異常」 なのは一体どちらか。 こちらから見れば、またしても彼らお得意の 「自作自演」 騒動劇としか見えない。 衆院憲法審査会で今回の集団的自衛権行使に関わる法案を、長谷部恭男早大教授が 「従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつきません」 と述べたことを、まるで違憲判決が出たとでもいうかのごとくはやし立て、「廃案で出直すしかない」 とまでいうが、そのどこが 「説明がつかない」 のか、筆者としてはもっと論理的に説明して見よ、といいたくなるほどだ。

 というのも、今回の政府見解を見ればわかるように、政府は 「必要最小限度の自衛の措置のみ許される」 との従来の解釈の枠組みを依然として堅持しているからだ。 これが昨年の法制懇の答申が勧めたように、いわゆる 「芦田解釈」 に変えたとでもいうのならまだしも、解釈の基本の論理は一貫して変ってはいない。 そのどこが 「説明がつかない」 のか、むしろ 「説明」 すべきはそちらの方だ。

 今まで 「できない」 といっていたことを 「できる」 としたことが問題なのだ、と彼らはいう。 しかし、むしろそれはこれまでの政府の集団的自衛権解釈を適正化したというべきで、これまではたださしたる理由もなく、集団的自衛権の行使は 「必要最小限度の自衛の措置」 にはなり得ない、と断じてきただけだったのだ。 しかし、考えてみれば、その中にも、いわば進んで 「他国」 を助けに行くような他国防衛型だけでなく、あくまでもわが国にとり 「必要最小限度の自衛の措置」 の範囲というべきケースもある筈で、その点を明確にしたことが今回の決定の意味なのである。 一体そのどこが 「法治への反逆」 なのであろうか。

 筆者はこうした反対派の主張を見つつ、ならばあなた方はいつから 「政府解釈」 の側に変わったのか、と逆に問い質したくもなる。 憲法学者の意見を尊重せよ、と彼らは声を張り上げる。 しかし、その学者たちというのは、日経社説が指摘するごとく、これまで自衛隊を 「憲法の容認するものとみなすのは、憲法の真意を曲げる論理の飛躍というべきである」 (清宮四郎 『憲法機戞法,覆匹伴臘イ靴討た人士だった筈だ。 そうした立場からすれば、そもそも従来の 「政府解釈」 そのものが認められない、となるのではないか。

 むろん、自分はとうにそんな自衛隊違憲論は卒業している、という学者もあるいはいるかも知れない。しかし、ならばそれはそうとして、かかる学者たちは、むしろ自分たちのそうした「解釈変更の理由」を、まず説得的に明らかにすべきだ、と逆にいいたい。というのも、それこそ「重大な解釈変更」であり、政府の解釈変更を恣意的と指弾するのであれば、ならば自らの論理の一貫性はどうなのかを、まず示すべきだからだ。

 
 憲法学者だけではない。新聞も野党政治家も同じだ。 彼らはかつてPKOへの参加をめぐり、今回のそれにも劣らない大々的な反対論を展開した。 参院では四泊五日の牛歩国会となったし、衆院では社会党、社民連の議員による辞職願提出騒動もあった。 また、新聞は総じてこの法案を激しく攻撃した。 朝日は 「自衛隊抜きPKO」 を主張し、毎日はこれを 「戦後とってきた国是の変更」 だとし、「実質的になし崩しの解釈改憲」 であり、「立法府の自殺行為」 とまで説いたのだ (伊奈久喜氏の指摘)。 しかし、それが今や総じてPKO評価が現実である。 とすれば、こちらの方こそ説得力ある説明が必要なのではないか。

 問題は日本の存立だ。 無責任な煽動はいい加減にすべきだ。
    
               (日本政策研究センター代表 伊藤哲夫)

                〈『明日への選択』平成27年7月号〉

Viewing all articles
Browse latest Browse all 2064

Trending Articles