病人は誰でも普通は 「治りたい」 と思っているけれども治らない人が随分沢山あるのである。
ところが替玉薬や、吸湿変質している薬剤を服用しても 「これを服めば治る」 という信念が起れば治ると云う事実があると云うことをクーエは眼をつけたのである。
即ち 「治りたい」 と云うのは 「意欲」 又は 「意志」 であるが、「治る」 と云うのは 「信念」 又は 「想像力」 である。
「意欲」 だけでは 「治りたい希望」 は実現しなかったが、「治る」 と云う 「信念」 又は 「想像力」 を強く喚起するとき 「治りたい希望」 は実現するのである。
クーエは 「意欲」 と 「想像力」 とが相反する場合には、その意欲することは実現しないことを発見して、「意志の力によって反対観念を克服しようと努力しても、それは結局、克服しようと思う観念を増強することになるばかりである」 と言っているのである。
想像力が意志の力よりも強力であるのは、「想像力」 は感情の力を喚起するけれども、「意志」 は普通の場合、単に知性の道具に過ぎないからである。
もっとも意志の力を使うことは決して悪いことではないのである。 併し、どんなに意志しても、反対観念が想像力によって喚起されるならば、意志の力は反対観念に負けてしまうと云うことである。
もっとも意志の力によって静坐し、精神を統一して、想像力を或る一方の観念に振り向け、それによって感情的にもその観念が成就したように具体的にある観念を造構するならば、これは意志と想像力と観念とが一致して来て、その実現力が高まるのは当然である。
クーエは 「治る」 と云う想像力が、肉体の生理作用に変化を与えて治病の効果を奏すると云うことを、更に敷衍拡大して、想像力を以って健全なる観念を持続することによって環境までも好転すると主張した。
谷口雅春師 『生長の家』 誌 昭和36年8月号 より