一度器を空っぽにしてしまわなければ新しい酒は入れることが出来ない。
病気を心の中にしっかりと把握している限りに於いて、健康の観念をつぎ込むことは出来ない。
病気を治すには第一病気の観念を捨ててしまわなければならない。 病気を忘れると云うことである。
病気を治そうとあせっているものの病気が治らないのはそのためである。
吾々は不調和を心から捨てなければ調和を得ることは出来ない。
吾々は不調和を心から捨てなければ調和を得ることは出来ない。
心に病気を描くこと、死を描くこと、恐怖すること、人を憎むこと、争うこと、悲しむこと、嫉妬すること、猜疑すること、すべて心の不調和である。
常に自己を霊的実在だと信じている者には、病気はないのである。
ただ吾々は日常生活中五官の目で見る場合どうしても自己やすべての存在を霊的存在だと見得ないで物質的な固まりであると見る場合が多い。
そのためにいつの間にか自分自身を黴菌に冒されるものと見る。 不完全なものだと見る。
その「観る心の相」〈即ち観念〉が空間的に影をうつして病気とあらわれて来るのである。
従って吾らが本当に常住健康の生活を送るためには、自己を物質と見る五官の眼を瞑じて、自己の全身を霊的実在であると観ずる神想観の如き修業を1日1回以上修することが必要である。
谷口雅春師 『生長の家』誌 昭和26年6月号 より