日本政策研究センターの伊藤哲夫代表が、このほど致知出版社より『明治憲法の真実――近代国家建設への大事業』を出版しました。
日本国憲法を讃えるという目的のために不当におとしめられてきた明治憲法(大日本帝国憲法)。しかし、その正当な評価を抜きにして、日本のあるべき憲法について論じられるのでしょうか。いかにして明治憲法は作られたか――いま学ぶべきは、明治維新を成し遂げた先人たちによる、国家と憲法のあり方を巡るその壮大なドラマであります。
憲法改正が取り沙汰されている今、是非ご一読をお薦めします。(定価1,400円+税/四六版上製201頁。お求めは全国の書店で)
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憲法論議がついに本格化する様相を見せている。
96条改正という矮小な話ではない。占領憲法にすぎない現行の「日本国憲法」は国際法に照らしても違法ゆえに廃棄するのが、主権国家のやるべきことだが、この意見は『暴走老人』以外からはあまり聞こえてこない。ま、正論が通りにくい日本の現状を鑑みれば、それも当然の理の帰結であるが。
もし法理論にしたがえば、明治憲法に復元し、それを改正するプロセスが適切だが、そもそも枢密院も貴族院もなくなって半世紀以上を閲してしまったから、適法を適用する法源が消滅している。状況からしても正論は通用しなくなった。
なにしろ押しつけ憲法を墨守して66年、史上こんな体たらくな国はなかった。
廃棄か、自主憲法か。今後の議論を進めていく上で、自民党の改正案、読売新聞と産経新聞の改正案も出そろい、ほかにも私擬憲法草案がいくつか出ている。
さて。
憲法論議の前に、われわれは明治憲法を知らなければならない。いったい明治憲法の何をわれわれは知っているというのか?
この憲法はGHQや左翼歴史家、メディアの左翼らによって「反動的」「封建的」「独裁的」などと滅茶苦茶な攻撃を受けてきた。攻撃する側はおそらく誰一人として明治憲法を読んだことも検証したこともないだろう。
明治憲法は当時の国際情勢に照らしても超一流の憲法、世界にほこるべき開明的な民主主義憲法であった。
その議論は、しかし別の機会に譲る。
本書が明らかにしているのは明治憲法の成立までの裏話と交渉秘話と、そして何よりも伊藤博文、明治天皇の濃密な関与。そのうえ、まだまだ知らなかったことが夥しくある。
すなわち、明治憲法はいかなる理想を掲げて、どういう過程をへて制定されたか、具体的にドキュメント風に或いは小説風にかかれた書籍が過去にほとんどなかったという驚くべき現実である。
明治初期、廃藩置県によって失業した武士が二百万。その不平不満は佐賀の乱、神風の乱、萩の乱、秋月の乱、そして思案橋事件を付随したが、ついに下野していた西郷隆盛がたって西南戦争となり、戦争中に木戸孝允が病没し、戦後すぐに大久保が暗殺されて、岩倉のほかに強い政治力をもつ政治家がいなくなった。
板垣は在野にあって民権運動を展開し、またルソーやミルが翻訳されて、民主主義議論が在野に沸騰していた。憲法の制定は急がねばならず、だからといって鹿鳴館の西洋かぶれのような猿まね憲法はつくれない。
伊藤哲夫氏は、この歴史の空白、その制憲史の謎に挑んだ。
前作の『教育勅語の真実』もしっかりした歴史考証を重ねての労作だったが、本書を通じて、明治人らがいかに愛国精神に燃え、基本の精神には尊皇のこころがあり、五箇条のご誓文の基礎の上に、イギリスとプロシアから学びつつも、しかも外国人顧問の法律的専門意見を聞きながらも、古事記以来の伝統を重んじた条文となった。
苦労に苦労を重ねてやっと制定に漕ぎ着けたこと。条文を逐一討議する参議の会議に、なんと明治天皇が皆出席されていたという歴史的事実も評者(宮崎)は、本書とを通じて初めて知ったことだった。明治憲法には日本の魂がこめられたのだ。
さらに条文の検討の過程に政変がからみ、板垣、大隈らが介入し、自由党、改進党を懐柔するために条文案の取引があり、これほどの波瀾万丈のドラマが背後に展開されていたことも知るよしもなかった。
憲法論議を前に、本書は必読文献のひとつとなるだろう。〈「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成25(2013)年8月11日(日曜日) 通巻第3998号(日曜版 臨時増刊)より