人間が神の最高の自己実現であるというのは、人間は「実相、無限完全の世界」と「それを表現するための現象世界」との境い目に立っており、自己が「実相無限の世界」から何を現象界に実現するかの枢機を握っているという意味である。
それはあたかも、あらゆる種類の無限の宝を貯蔵する倉庫から、何を取り出そうかと、扉をひらいて、扉の前で思案している人間のようなものである。
しかし、思案しているだけでは何もならないのである。 本当に「われこれを必ず実現する」と決意したならば、それを持ち出すための行動に移らなければならないのである。
その行動には静的行動と、動的行動とがあるのである。 心の世界に、自己の希望がすでに実現していることを、ハッキリ心に描くところの神想観を、毎日実修することが静的行動であり、その精神統一の底から湧き出て来るヒントに従って、行動することが動的行動であるのである。
谷口雅春師 『如意自在の生活365章』 より