聖典 『生命の實相』 に於て 『神想観』 に関する谷口雅春先生の御言葉を抜書きしてみた。 『神想観』 についてこんな御言葉があったか、こんな御説明があったかと知らされる事ばかりであった。
◎神想観は生長の家の神から私が直接授かったものであります。
◎神想観は 『無想観』 にあらず、 『凝念』 にあらず。
◎神想観は神の力、仏の力なり。
◎神想観はその使命を以てあらわれた守護の神に護られて行う何よりも完全な行法である。
◎心と視力を集めて実相を静観するのが神想観である。
◎神想観は 『ハイハイ有難うございます』 の修行で少しも難しい事はないのです。
◎神想観の祈りは、絶対他力への帰命信頼の表白である。
◎与えられた勘定書を精確に承認するのが神想観である。
◎神想観は 『実相観』 なり。
◎実相上に坐して修するのが神想観である。
◎神想観は全身が真理と成る為なり。
◎神想観こそ最高の祈りである。
◎神想観は 『祈り』 と 『観法』 との調和し合体したものである。
◎神想観は神と二人切りの対座なり。
◎神想観は永く別れていた親子の対面なり。
◎神想観の中(うち)にのみ永遠なる拠り処を吾々は見出す。
◎神想観にまさる喜び、幸福は他にない。
◎神想観は諸仏現前三昧なり。
◎神想観は他力、自力を絶した 『絶対力』 である。
◎神想観は実行が実相を念ずるコトバの大行なり。
◎神想観は往相精進の行なり。
◎神想観は求める場でなく与える場である。
◎神想観は 『證上(しょうじょう)の修』 なり。
◎忙しく 『睡眠時間の足りないような時ほど却って神想観』 をなすべし。
◎人類光明化運動の基礎となるもの ―― それは神想観である。
(以上は神想観に関する先生の御言葉の一部の列記にすぎない)
『神想観』 が他の如何なる行法にも勝る全き観法である所以と、これを生長の家の大神より谷口先生を通して授けられた尊さを、今はじめての如く知り得たと同時に、不勉強であった自分を更めて痛感させられた。
孔子は 『易経』 を読んで韋編三たび絶ったというではないか。 この古今に冠絶する生命の書、真理の書をいただきながら何という不勉強ぞ。 須く、繰返し、徹底的に 『生命の實相』 を真讀すべし、心讀すべし、身讀すべし。
吉田武利 『生長の家』誌 31年9月号より
このレポートをもとに『詳説神想観』が編纂されたのです
しかしまぁ~最近の講師は『招神歌』がヘタですなぁ~
光明法話の過去記事は左欄『今日の言葉』