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Channel: 晴れときどき競馬とホークス
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無明〈迷い〉は、どこから、どのようにしておこるのか

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 これは佛教でも 「無明起源論」 といって、なかなかむつかしい問題であります。

 また全世界の学者は、この無明がどこからいかにして起ったか、満足に説明し得た学者はありません。

 「忽然念起」 といって 「ヒョッコリ念が起った」 などと説明している人もありますが、これでは完全な説明ということはできません。

 わたしが考えますのに、 「迷い」 というものは “本来無い”。 “無い” ものの起源をたづねることが本来まちがっている。 起源をたづねるのは “在る” というこど前提としてのことである。

 無いものを根掘り葉掘りしたところがその根が出て来るはずがない。

 われわれが “迷い” はどこにある、どこから来た、と根掘り葉掘りしている間は “無い” ということはわからないのです。

 “無い” ものは “無い” として、それはそのままほって置き、本当にあるもの ―― われ “神の子” なりというこの荘厳な真理を自覚したとき、迷いはひとりでに “無” の本性を暴露して自滅するのです。



                  谷口雅春師  『生命の實相』 人生問答篇より

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