キリシタン大名として有名だった高山右近が、ローマ法王パウロ6世によって列聖に加えられた。
織田信長は高山右近のキリスト教信仰を許して、右近を自分の城下の武将としたので、右近は細川ガラシャ夫人をはじめ、有力な武将たちを感化して、クリスチャン大名の黄金時代を築いていたが、徳川家康の世となるや、家康は 『バテレン追放令』 を出したので、高山右近は即座に棄教を命ぜられた。 しかし右近はその命を峻拒したので、激怒した家康は、高山右近を遠くマニラに追放した。
当時の海外追放は、切腹にまさる恥であり、切腹にまさる苦難の道であった。 初老に近い年齢で、交通不便であり、気候風土のはなはだしく異なるマニラでの旅は過労であった。 右近はマニラに十六年かかって到着したが、病苦のために上陸して五十日目に客死した。 その困苦の姿を想像するだけで、私は胸が痛くなる。
徳川三百年、明治以来百年を過ぎた今年になって、同信の人々によってなされた列聖運動が、やっと実って、右近はカトリック信者として最高の栄誉である 『聖人』 に列せられたのである。
高山右近も、大名の身分でありながら、信教の自由のなかった政治下において、遂に殉教すなければならなくなった。 信教の自由を許されている時代であるのに、自分の信仰だけを善となし、他教を邪教だと独断して、他人の信教の自由を抑圧する人のあることをしばしば聞く。
自分の信仰は正しいと思ったら、自分は自分でその信仰を、いよいよ高め深めてゆくように精進努力してゆけばよいのであって、他人の信仰の自由を妨げてはならない。 他人の信仰が誤っていると思ったら、どこまでも優しく説いて上げ、決して暴力をふるってはならない。 相手も神の子、仏の子であることを忘れてはならない。 相手も自分の信仰の本尊を高く仰ぎ、その信仰に大きな誇りをもっているであろうから。
誰でも自由を好むものである。 自由は楽しいことに相違ない。 自由が得られないと、得たいがために懸命に働くが、得てしまうと怠けてしまう人が多い。
信教の自由のない政治下にある時代には、人々は自分の信仰を命がけで護ろうとする。 ローマ帝国時代には、暴君によって獅子に食わせられたキリスト教信者があったが、彼の肉体は獅子の腹に入ったが、魂は天に昇った。 堅信者たちは、肉体を十字架にかけても、魂の救いを得ようとしたのであった。 高山右近も、流刑によって肉体の自由をクロスしたが、魂は自由で、如何なる強権にも屈しない歓喜をもって、天の父の許へ行ったことであろう。
魂の自由こそ、人間最大の喜びである。
谷口輝子聖大姉 『理想世界』誌46年12月号