PHP Biz Online 衆知 11月21日(金)12時30分配信
吉田昌郎と現場の人々を取材した著者が、吉田調書の「真実」を明かす!
(『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実』はじめにより)
(『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実』はじめにより)
「これが世に出て人に読まれるとき、少しでも故人の真意が誤り解せられ、それがため故人に迷惑が掛かるやうなことがあつては、自分としては甚だ相済まぬことになる」
2014年5月20日、朝日新聞が 「福島第一原発の所員たちの9割が吉田昌郎お所長の命令に違反して福島第二原発に撤退していった」 という大キャンペーンを始めた時、私は、ある人物のことを思い出した。
大分県杵築市 (現在) 出身の海軍中将、堀悌吉 (1883~1959)である。
海軍兵学校32期で抜群の成績を修め、首席で卒業した堀は、同期の山本五十六 (1884~1943) と無二の親友だったことで知られる。
また、海兵の2期下にあたる古賀峯一 (のち海軍大将、1885~1944) を加えた堀、山本、古賀の3人の結束の固さは、海軍内部でも知る人ぞ知る。
条約派としてロンドン海軍軍縮条約の締結に邁進した堀は、これを批判する艦隊派によって、のちに予備役に編入され、現役からの 「引退」 を余儀なくされた。
その時の山本五十六の嘆きは有名だが、1943(昭和18)年4月、ブーゲンビル島上空において山本が戦死 (海軍甲事件) し、山本の後任の聯合艦隊司令長官となった古賀も翌1944(昭和19)年3月に同じ道を辿り (墜落死・海軍乙事件)、 結局、堀だけが残されることになる。
冒頭の言葉は、堀が山本と古賀を偲び、彼らの書簡や覚書をまとめた 『五峯録』 (「五」 は山本五十六、「峯」 は古賀峯一のそれぞれ1字からつけた) の中に記したものである。
少しでも故人の真意が誤って解せられることがあってはならない ― それは、堀悌吉の真摯な人柄による親友への哀惜の念と、歴史の真実に対する深い敬畏が言わせたものだろう。 故人の 「言葉」 や 「文章」 を伝える時に、これほど気を遣い、心を砕いた人を私は知らない。
私はジャーナリズムの世界に身を置く人間として、その意味で堀悌吉・元海軍中将を、このうえなく尊敬している。
言うまでもないが、ジャーナリズムの世界では、故人が遺した言葉の数々を、勝手にねじ曲げて表現することは絶対に許されない。
震災翌年の2012年7月、私は、1年3カ月におよぶ説得の末に、故・吉田昌郎氏に長時間の取材をさせてもらった。 噛みしめるように吉田氏が語った1つひとつの言葉は、今も脳裡に焼きついている。
震災翌年の2012年7月、私は、1年3カ月におよぶ説得の末に、故・吉田昌郎氏に長時間の取材をさせてもらった。 噛みしめるように吉田氏が語った1つひとつの言葉は、今も脳裡に焼きついている。
「門田さん、俺はただのオッサンだよ。 なんにもしちゃいない。 でも、部下が凄かったんだ。 部下たちの真実を後世に残して欲しいんだ」
吉田氏は、私の取材に答えながら、そう何度も繰り返した。
部下を想い、その命を最優先に考えながら絶望的な闘いを挑んだ吉田氏の話は、「極限の現場」 の真実を具体的な映像として私の頭に結ばせた。
その凄まじい闘いのありさまと同時に、私は、吉田氏の人柄にも関心を抱いた。 ざっくばらんで、ユーモアを交えながら、率直に話してくれる吉田氏の姿は、原子炉建屋への突入を繰り返したプラントエンジニアたちが、
「吉田さんとなら、一緒に死ねると思った」
と口々に語ってくれたことを、私に納得させるのに十分なものだった。
「東日本壊滅の危機」
「チェルノブイリ事故の10倍」
吉田氏が自ら振り返ったその激しい闘いを、朝日新聞は 「所員の9割が吉田所長の命令に違反して撤退していた」 と書いた。
私は、この記事を書いた朝日新聞の記者に、「歴史の真実」 にアプローチすることの 「意味」 をあなたは知っていますか、と問いたくなった。
そして、その時、頭に浮かんできたのが、『五峯録』 をまとめた堀悌吉の姿だったのである。
堀の功績によって、太平洋戦争開戦時のもうひとつの真実が明らかになり、また、山本五十六や古賀峯一の研究が進み、折々の彼らの言葉や思いが現在に伝わっているのは、周知の通りだ。
〈元来此の書類は筆者自分に宛てて残されたものである。 そして故人は故人の真意を先づ自分に伝へ置かんが為に書き残したものに相違ないと信ずる。 (中略)
これが世に出て人に読まれるとき、少しでも故人の真意が誤り解せられ、それがため故人に迷惑が掛かるやうなことがあっては、自分としては甚だ相済まぬことになる。
此の信念の下に自分は一旦之を自分に取り入れて、それを人に伝ふることが、故人の信義に応ふるの道であると考へる〉
堀のその態度こそ、後世に歴史の真実を残す人間にふさわしいものだと私は思う。
本書は、朝日新聞によってねじ曲げられた政府事故調の 「吉田調書 (聴取結果書)」 の真実を記すものであり、その時々の吉田氏や現場の人々の思いを伝えるものである。
私は当初、故人の遺志に従って、「吉田調書」 の公開に反対だった。 しかし、朝日新聞によって真意をねじ曲げられ、貶められた吉田氏と部下たちの本当の姿を知るには 「公開」 が不可欠であり、そのためには、「吉田調書」 をめぐるドキュメントと、その 「読み解き」 が必要であると思い至った。
それが、故・吉田昌郎氏や彼の部下たちに話を伺い、『死の淵を見た男 ― 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』 (PHP研究所) を書いた人間の使命であると感じたからである。
吉田氏以下、福島第一原発の現場の人たちは、「事故」 と闘い、「官邸」 とも闘い、そして 「東電本店」 とも闘っていた。
朝日新聞によって貶められた吉田氏と、現場の人たちの名誉の回復のために、私はふたたび、その真実の姿を、描かせてもらおうと思う。
それが、「東日本壊滅」 の危機から日本を救った人々への、私のせめてもの感謝の気持ちだからである。