『神想観を厳修しましょう』
聖書も仏書も人間の本質についての真理を明らかに説いているのであるが、多くの 「教会キリスト教」 や寺院仏教では、 Meditation (瞑想・禅定) の力によって其の真理の本質の中に入って行かないで、人に聞かれんがための讃美歌と祈りとのみを捧げ、形式的な読経礼拝の儀礼だけを行っているだけであるために、本当の真理を見ることが出来ないのである。
どうしても宗教の本質たる自己解脱は一種の 「精神統一」 (その名称は「坐禅」でも「一向専心の念仏」でも、「神想観」でも、「祈り」でも、「鎮魂」でも ・・・ どんな名称でもよい訳だが) を介して、宇宙大生命と一体となるほかはないのである。
もっとも大生命に直参するような元気溌剌たる宗教となるためには、どの宗教でも何等かの法式で精神統一法を持たなければならぬ。
谷口雅春師 『真理』 第2巻 基礎篇 92頁