産経新聞 10月26日(日)7時55分配信
朝日新聞が今夏、沖縄戦について 「日本軍は住民を守らなかったと語りつがれている」 などとする中学・高校生向けの教材を作成して学校に配布し、教育関係者から「 偏向的な内容で子供たちに誤解を与える」 と批判の声が上がっていることが25日、分かった。 戦争の悲惨さを伝える一方、日本軍の残虐性を強調する記述が多く、学習指導要領の趣旨を逸脱しているとの指摘もある。 朝日新聞はこの教材を38万部作成したが、学校現場に適切かどうか議論を呼びそうだ。
朝日新聞が作成したのは、教育特集 「知る沖縄戦」。 中学生以上を対象にした新聞スタイルの学習資料で、昭和20年の沖縄戦について、県内の戦争体験者らへのインタビューを交えて解説している。
だが、全体的に日本軍への批判的記述が目立ち、次のようなことが書かれている。
「沖縄戦の教訓として 『軍隊は住民を守らなかった』 と語りつがれている」
「(避難壕(ごう)の中で)日本兵は 『子どもを泣かすと、始末するぞ』 と怒鳴った。 銃剣を突きつけてきた。日本兵が子どもを殺した、という話も聞いた」
「(集団自決について) わたしは石で、母親を殴りつけました。 兄とともに9歳の妹、6歳の弟を手にかけてしまったのです。 (中略) わたしたちは 『皇民化教育』 や日本軍によって、『洗脳』 されていました」
朝日新聞はホームページなどで、この教材を 「ご希望の学校に無料でお届けします」 と紹介し、今年6月以降、順次配送していた。 また、朝日新聞西部本社が九州各県の学校に案内文を送付し、「平和授業や修学旅行の資料等にご活用下さい」 と呼びかけていた。
これに対し、学校現場の一部からは批判が上がっている。 熊本県の高校校長は 「朝日新聞から8月、この教材とともに、希望があれば憲法や集団的自衛権について出前授業を行いたいという案内が送られてきたが、生徒を憲法改正反対に誘導するものと思わざるを得ない」 と話す。
中学校学習指導要領 (社会) には、「様々な資料を活用して歴史的事象を多面的・多角的に考察し公正に判断する」 と明記。 文部科学省では学校で使う補助教材の選択にあたり、 (1) 学習指導要領の趣旨に従う (2) 児童生徒の発達段階に即したものにする ― ことなどを都道府県教委に求めている。
政府の教育再生実行会議委員の八木秀次・麗澤大教授は 「沖縄戦をめぐってはさまざまな議論があるが、朝日新聞が学校に配布している資料は、日本軍の残虐行為を強調するだけで著しくバランスを欠いている。 学習指導要領の趣旨に反するのは明らかで、教育現場で使われるべきでない」 と指摘している。
「日本兵に避難壕(ごう)から追い払われた」「日本軍によって集団自決に追い込まれた」「日本軍が住民を虐殺した」―。 朝日新聞が今夏に作成し、中学生や高校生に無料配布している教育特集 「知る沖縄戦」 には、日本軍が沖縄県民を虐待する場面が繰り返し登場する。 教育関係者からは 「子供たちがこれを読めば日本軍を嫌悪し、その思いは自衛隊への悪感情にもつながるかもしれない」 と懸念する声が上がっている。
◆避難民はじゃまだ
6月1日 《兵隊も、避難民も入りみだれて逃げていく。どこの壕も日本兵で埋まり、避難民は追い払われる。 隠れる場所もなく、真栄平(まえひら)で豚小屋に入り、夜を明かす》
「知る沖縄」 の記述の一部だ。
あるページには、米軍が沖縄本島に上陸する直前の昭和20年3月下旬から幼児2人を連れて逃げ惑った母親の様子が、日付順にこう書かれている。
6月10日 《避難壕をさがして近づくが、日本兵にくりかえし 「じゃまだ」 と追い返される。 サトウキビをかじって、渇きをいやすしかなかった》
6月11日 《子どもは 「マンマが食べたい」 と泣いた。 日本兵は 「子どもを泣かすと、始末するぞ」 と怒鳴った》
◆「集団自決」 を強要
日本軍が 「集団自決」 を強要したとする場面も、体験者へのインタビュー記事として、生々しく描かれている。
《「天皇陛下バンザイ」。 校長先生のかけ声があり、まもなく、両耳に、厚い板をたたきつけられたような重い音がひびきました。 (中略)「米軍に捕まるくらいなら、死を選べ」。 日本軍の考えや教育によって、当時は大人も子どもも、そう思い込まされていました》
《当時の教育は、だれよりも偉い天皇のために命を捨てる、ということを教え込みました。 自分の行動を自分の考えで決めることを許さないのです。 (中略) こうした時代背景のなか、わたしたちは日本軍によって 「集団自決」 に追い込まれていったのです》
◆県民保護は触れず
体験談だけでなく、説明文の中にも、日本軍批判が少なくない。
《(米軍の沖縄侵攻に対し) 日本は、沖縄を守ることよりも、本土に攻め込まれたら困ると考えて、沖縄になるべく米軍をひきとめて時間をかせぐ 「持久戦」 の作戦をたてた》
《(組織的戦闘が終了した) 6月23日以降に亡くなった人も多い。 久米島では8月にかけて、日本軍が住民を虐殺している》
一方、日本軍が県民を保護して必死に戦ったり、県民が沖縄を守ろうと率先して日本軍に協力したりした様子は、ほとんど書かれていない。
沖縄戦では、海軍次官宛てに 「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜(たまわ)ランコトヲ」 と発信した大田実海軍中将の最後の電文 「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ」 が有名だが、この教材では一行も触れられなかった。
この教材について民間教育臨調の村主真人(むらぬし・まさと)事務局長は 「沖縄県民が “捨て石” として犠牲を強いられたとする、一面的な歴史観に貫かれている。 これを読んだ生徒は、天皇の戦争責任を問うようになり、自衛隊への嫌悪感を持つようになるだろう」 と話している。