『リコールと比較して朝日慰安婦報道を考える』
先月五、六日に行われた朝日新聞による自社の慰安婦報道検証特集については、既に様々な媒体で批判がなされ、専門家たちのコメントも掲載されている。 筆者ごときがそれに付け加えることもないと思われるが、問題の重要性に鑑み、あえて書かせていただく。
筆者は今回の朝日の問題は、自動車会社などが行うリコールの問題との比較で考えるのが便利ではないかと考える。 彼らが安全性に問題のある自動車などを売り出してしまった場合、どのようなことが要求され、またどのような措置がとられるか、という問題だ。
まず第一は、ユーザーから欠陥を指摘された場合、どうするかという問題である。 むろん、全力を挙げてそれが事実かどうかの検証が行われよう。 そして、事実と判断されれば間髪を入れずにリコールとなる。 にもかかわらず、ここで直ちに行動をとらず、それどころか逆にその欠陥に頬被りし、相変わらずその自動車を素知らぬ顔で売り続けたとしたら、その会社は果たしてどんな制裁を受けることになるか、ということだ。
筆者にとって、今回の問題のポイントはまずはこれではないかと思う。 吉田証言を事実とし、慰安婦は女子挺身隊として連行された、と彼らは報じた。 この誤報の罪たるやまさに万死に値するといえるが、実はそれにも増して重大なのは、それが誤りであることを指摘されながらも、彼らはその誤りを二十年以上も認めることを拒否し、あたかも誤りはないかのごとく振る舞ってきた、ということである。 これは悪質な 「リコール隠し」 に他ならず、最も罪の重いものだというべきだ。
第二に、リコールとなれば、まず要求されるのは欠陥製品の 「回収」 であろう。 製造会社は全力でこれを行わなければならない。 今回、朝日は遅まきながら、不十分ではあれ、ともかく欠陥を一部認めた。 であれば、次にやるべきはこの欠陥品回収である。つまり、この朝日報道に誤導され、今なおこの間違いを世界にまき散らし続けている韓国や国連等に対し、実はそれは誤りでした、二度とこの製品は使用しないで下さい、とその誤報がもたらした誤解を明らかにして回る、ということなのだ。
この吉田証言と、 慰安婦と挺身隊の問題は、今日慰安婦問題を糾弾する国や人々にとっての 「基本公理」 のようなものだといってよい。 その大前提が成り立たないとなれば、それに基づく全ての主張は崩れる。 その真相を告げて回る義務があるということだ。
そして第三に出てくるのが、謝罪や賠償である。 ただ 「欠陥がありました」 と発表するだけで問題が終わると考えているとしたら、報道機関としての朝日の認識は小中学生以下であろう。 まともな社会人なら、まずは社を挙げた正式な謝罪があるべきだし、誤報がなされたことにより、そこから生じた様々な名誉毀損・苦痛・信用失墜 …… 等々に対する誠意ある賠償がなされなければならない。
以上、ざっと考えてみるだけでも、今回の朝日の検証なるものがいかに不満足で評価以前のものであったかが見えてこよう。 にもかかわらず、むしろ朝日がやったのは露骨な責任転嫁や開き直りでしかなかった。 「白旗掲げて進軍ラッパ」 と評した論者がいたが、彼らは恥じ入るどころか、 「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」 と戦闘宣言さえしたのだ。 「これからも変わらずに誤報を続けます」 とでもいうのだろうか。 「知りたくない。 信じたくないことがある。 だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」 とかつて彼らは書いた (平成4年3月)。今回はこの言葉をそのままお返ししたい。 過ちを過ちと認めないことには、朝日もまた歴史を残せないのだと。
日本政策研究センター http://www.seisaku-center.net